こんにちは、昨年大学院を卒業しましたnemu(@nemusblog)です。
先日、こんなTweetをしました。
わたしは、びっくりしました。
否定ではなく、高学歴は絶対!ということでもなく、ただ分野的にも自分の中で”修士は当たり前”だったので、確かに、意味ってなんなんだろうと改めて考えるきっかけでもありました。
調べてみると、修士は扱いにくいとか、使えない知識を云々などという意見ってあるんですね。
そういうことも含めて、驚きの視点だったのですが、それもわたしが井の中の蛙になっていたからなのかもしれない。
大学院だけじゃなく、大学、高校さえも、コミュニティによっては「そんなの意味ないんじゃ?」と思われることですよね。
特に、海外大学院は学費も労力もかかる話。
今回は、そんな大学院進学の”意味”って何なんだろう、と考えてみたお話です。あくまで、経験したわたしの主観になってしまいますが。
Contents
どうしてわたしが、大学院に進学したのか?
最初に伝えたいのは、高収入や高学歴を得たかった、というわけではありません。わたしの大学院は、実はイギリスのランクだとそんなに高くないんです….。
ただ、ビジネスや研究職において、院卒だと扱いが全く違うと聞きます。また、日本でも月給が少し違うみたいですね….全てわたしは対象外の話なのですが….
わたしは特にその辺りを考慮したわけではないのですが、目指す道において修士が必須だったというのが答えです。
いつか就きたい仕事の、条件欄には一番上に「〜〜の修士号を保持していること」とあります。
この分野の修士号がないと、応募するチャンスさえ与えられない。
自分の中で、英語を習得することと同じように、絶対ないといけない事項の一つでした。
また、好きな分野のことを誰よりも詳しくなりたかったことも理由です。
以前この記事でも書いたのですが、大学院は「答えのない課題の扱い方を学ぶ」場所だと思っています。
新卒で海外就職6ヶ月。半年を振り返って思うことたくさんの課題が溢れている中で、この分野のことは、他の人じゃなくてわたしが関わっていきたい。
そう思える分野に出会えたことが、院が当たり前に視野に入っていた理由かもしれません。
大学院進学は、わたしの人生を180度変えてくれたと思う
そんな中、実際に行ってみてわたしが今感じている”良かったこと””意味”をいくつか紹介します。
専門分野の知識を証明できるから
わたしの専門分野は、日本で学ぶことができません。
大学院レベルでも、学ぶことのできる教育機関は世界で数校しかありませんでした。
だからこそ、その分野で修士号まで持っていることで、参加できるセミナーやイベント、直接会える人だったり話せる内容も変わってくるなあと感じます。
特に、わたしはまだ新卒のヒヨコで、門前払いなことも多い中、知識だけでも証明できることは、いろんな機会にしがみ付かせてもらえています…。
英語力を証明できるから
これは、海外大学院の場合ですが、やっぱり英語力は改めて証明しなくてもわかってもらえるし、仕事のプロセス、文化的な部分までなんとなくわかっているんだろうな〜と思ってもらえます。
それは、誰かと仕事をしたいときや考え方を共有するときに、とても役立ちます。
「海外経験」をアカデミックな場で証明したいときは、第一段階として楽だなあと思うことがあります。
学ぶことが好きな人たちに出会えるから
海外まで来て勉強している人たちは、キャリアor収入向上!というタイプか、この勉強を極めたい!というタイプのどちらかかな、と思います。あとは一部のお金持ちな人たち….
わたしは、後者の人たちに出会えたことがとても有意義でした。
みんな、自分の分野のことが本当に好きで、ずっと話していられるし、心からその学問に恋しているというか、好きで考えていたくて止まらない、みたいな…
そんな気持ちに答えてくれる環境があるし、教授がいるし、可能性も溢れるし。
自分が良い、大切だと思うことを極めようとしている人たちとの出会いは本当に貴重だったなと、社会に出てからより感じています。
答えのない課題を、専門家と一緒に考えられるから
同じ課題を、同じように良くしていきたいと思っている専門家たちと一緒に考えることができました。
「カリキュラムだから」「これ必須単位だから」という雰囲気はなく、教室はいつも熱気がすごくて、窓が曇っていました。笑
わたしの学部は、27か国ぐらいから学生が来ていたので、「わたしの国ではこうだけど」「日本はどうやっているの?」と毎日いろんな国の視点から課題について考えることができました。
もう、あの時間だけでも「大学院に行けてよかった」と心から思います。
将来の収入とか、キャリアチャンスとか、どうでもいいじゃん!と思ってしまうほど、ただあの瞬間が楽しくて堪らなかったです。
世界の最先端の研究に毎日触れられるから
今、実際に行われているプロジェクトや研究に毎日のように触れることができました。
社会に出て、どこかの組織に属したら「立場」ができて、それによって出会える人もできることも変わってきますよね。
あくまでも「学ぶ場」である大学院だったからこそ、日替わりで国際機関のスタッフが来て、たくさんの組織の、たくさんの取り組みについて一緒にディスカッションすることができました。
あくまで、模擬ベースなんですけど。それでも、触れられる学びの多さには日々感動していました。
でも、「知っている」と「できる」は違うことで。
ただ、それでも結局は教育機関。知識(と手法)を得ることが主な目的。
わたしのメンターが「必要なことは全て実践経験で学んだ」と話していたほど、やっぱり現場に出てみないと実際の課題や壁の大きさってわからない。
社会に出てすぐ、大学院の学びが結果に直結するかというとそういうわけではなさそう。
これは、研究職や専門職だとまた違うかと思いますが、ジェネラリストの視点で、マネジメントや社会人たるもの云々の点ではわたしはまだまだです。
また、同じ学びを持った人がいないと、考え方や見方があまりにも違うなと感じることがあります。
目の前に栄養状態が悪い人がいて、「何を与えようか」と考える場合と、「なんでこうなったんだろう」と考える違いと言いますか、説明が難しいのですが….
わたしは全体像を把握しなきゃ、とか根本的な原因はどうしたら解決するんだろう、とすぐに感難くなってしまいます。
学問分野がPublic Health寄りだからというのもありますが、確かに現場主義の技術者からすると扱いにくいですよね……..
まとめ:縦じゃなくて、横の成長を考えたい
確かに、目の前のマネジメントとかは完全に経験年数云々かもしれないし、すぐに昇進したり収入が上がったりって、そういう結果にすぐ繋がるわけではありません。そんなことわたしは正直どうでもいいんですが。笑
ただ、たっぷり吸収したい年代のうち1年を、がっつり好きなことに使えた、その選択には誇りを持っていきたいなあと思います。
人生のうち、自分が心から学びたいことに時間を費やせるのってどのくらいなんだろう。
目の前の成長とか、仕事の上手さとか、確かに目に見えやすい評価と向き合うと、これでよかったのかなあと思う、いや思わせられるのかもしれません。
でも、なんというか心の豊かさというか、横を広げるという点では大いに意味があるんじゃないかなと思います。
結局、自分にとって「何を大事にして生きていきたいか」「どんな仕事していきたいか」ということだとは思うのですが。
所属する組織や、評価する人の考えで不安になることもあるかもしれません。
そんなときに、ブレない自分軸を持っていきたいなあと感じます。
以上、修士が完全マイナーな世界で生きているわたしからのまとめでした。🌸