つ!い!に!この記事を書くときが来ました〜〜〜〜!祝
カンボジアで就職して、無事に1年が経ちました。nemu(@nemusblog)です。
本当に様々なことがあった新卒海外就職。
実は、3ヶ月ごとに海外就職での学びや気づきをまとめていました。
新卒海外就職3ヶ月inカンボジア!非日常が日常になって思うこと。 新卒で海外就職6ヶ月。半年を振り返って思うこと 【新卒海外就職9ヶ月目】大変な日々の中に、少しずつ結果が見えてきた気がする。という記録。今日はその1年目ということで、最近の学びと、ここで働く中で感じたことをまとめました。
いつも読んでくださる皆様、ありがとうございます…!
Contents
0→1にできる人と、1を10にできる人がいる
これは、特に国際開発における話。
JICAによると、国際開発のどの分野でも求められる”6つの資質”があるとのこと。
その中で、私がこの数ヶ月特に大切で且つ皆が持っていると限らないと感じたのは、問題発見・調査分析力。
いくら日本で、東京の大企業なんかでバリバリと働いていました!としても
最初から整った環境で、優秀な先輩に恵まれて発揮できる能力が、必ずしも他の場所ですぐに転用可能だとは限らない。
何もないカンボジアの田舎で、課題が何で、それをどうやって解決していくのか。
その0→1を作る作業って、現場に出ないとなかなか経験できないし、能力も高めづらい部分かもしれないと
いろんな人たちの働き方や関わり方を見る中で感じました。
解決の道筋まで立てることができたら、そのあとは1を10にできる人が続けていってもいい。
ただ、いくら「僕はあちこちで10を作ってきました」といっても
0の場所になった途端に応用ができないって、国際開発の現場において即戦力にはなりづらい。
どっちが良い、悪いということではないと思います。
ただ、それまで優秀な人はどこでも活躍できるんだろうな〜なんて思っていたので
輝ける場所を正しく選ぶ大切さというのを、ひしひしと感じました。
ふと思い出した、私と同じ時期にイギリスで活動されていたライターのしおりさんのこの言葉。
ここで紹介させてください。
“置かれた場所で咲く努力”は、とてもとても大切なことで、私もこの言葉をいつも頭の片隅に置いているけれど、花を咲かせるのに適した土壌は一人ひとり違うし、今置かれている場所が自分の花に適しているかは、自分にしか分からないものだと思う。
3年あたためていた割には、長くてうまくまとまっていないので、一番伝えたかった部分だけ。 pic.twitter.com/lQJHkOIZnt
— しおり|ライター (@nyu_n62) December 31, 2020
自分が輝ける環境はどんな場所なのか。
大企業とか、有名なNGOとか、いい理念を持っているから、とかそんなことは一旦置いておいて、今一度心に問いかけてみたいです。
背負っているのは、自分だけじゃなくて仲間の人生
特に東南アジアで就職したり、国際機関でその他途上国に赴任する場合
管理職になる立場の人が多いかと思います。私もそうです。
自分が評価されないと、認められないとと焦っていた新卒1年目。
でも、背負っているのってそんな私のちっぽけなプライドではなく、私と一緒に働いてくれる現地スタッフの生活なんですよね。
最初は言語も通じず、働くとは何ぞや。の段階だった私は、正直そこまで見ることができていませんでした。
現地のスタッフがあってこそ、一緒に働けているのに。
外国語を話して上とディスカッションすることのできる役割として赴任する意味は何なのか。
学びたい、経験したいという自分軸の思いばかりが優先してしまっていたのは反省点でした。
”新米だから”で許されるのは自分の心の中だけ
新卒だから、まだ1年目だから。
そんな思いを持っていたのが露呈したのか、開発コンサルのキャリア相談員の方に
「あんまり新卒とか経験ないとか言うのは辞めたほうがいい。誰もあなたのことそう見てないわよ、自分から価値を下げている」とお叱りを受けたことがありました。
決して、自信満々で威張ってやっていけという意味ではなく。
与えられている責任は、そんな言い分けで通用するほど小さなものではないという現実に気づかされました。
なんとなく、自分を守りたくて(守らないとやっていけなくて)常に未経験、新卒というのを自分の中で意識していた気がします。
任せてもらっている責任の大きさから目を逸らす言い訳でしかなかった。
そりゃ新卒だし未経験だけれど。
もうそんな言葉は忘れて、頑張ってくれているスタッフのためにもしっかりと責任を果たさなきゃと気持ちを新たにしています….
ジェネラリストからスペシャリストに
まだ専門家と言うには程遠いけれど。
それでも、いつの間に周りからの視線が「ジェネラリスト」ではなく「スペシャリスト」になっていたんだろうと最近ふと考えました。
自分の中では、大学、大学院と同じような仲間に囲まれて勉強して、ぴょんと現場に飛び出ただけの新人だと思っているけれど
その分野を極めていない人たちからすると、こんな私でも”詳しい人”と見てもらえる。
それは、決して自惚れるようなことではなく
自分より詳しい人がいない中で、自分の知識と経験を頼りに物事を決めていく責任や
それを、わかりやすい言葉で納得させられる能力が求められるということに今更気付きました。
自分がわかる程度のことなんて、誰でも知っていると本当に思ってしまっていました。
ずっと学生をやってきて、生徒という立場で過ごしてきた期間が長かったので
自分より詳しい人がいないとか、専門外の人にわかるように伝えないと、という視点を完全に置いてきた結果
一緒に過ごす人たちと分かり合えなかったことが何度かありました。
改めて責任感を….ああ
求められている正解なんてない、自分で正解を作る仕事
最近、こっちで暮らす友達と話す中でもよく感じるのですが
とりあえず仕事を与えて覚えてね!というスタイルではなく
自分で仕事を作って、それを正解にしていくことが求められる機会が海外就職では多いと感じます。
特に日系の駐在で私と同年代で来ている友達などは、この話でよく盛り上がります。
カンボジアに来た頃は、私はこの違いに戸惑っていました。
新人教育はないにしても、何をすればいいのかわからなくて。なんとかしがみ付いたけれど、ここで折れる人は結構います。自分、何しに来たんだろう….と。
最近やっと、そもそも求められている正解なんてないのかも、と気づきました。
正解があれば、教える人さえいれば遂行はできるもの。
今の課題に対する正解がわからないから、なんなら課題が何かわからないから、それを見つけて道筋を作る人として呼んでもらえているのかもしれません。
改めて責任の重さを….あぁあ
仕事だけじゃなく、生活があっての毎日だから
これまで仕事のことを書いてきましたが、海外就職と言っても、やはり生活があっての毎日。
おいしいものを食べたり、仲の良い友達と遊びに行ったり
時には旅行に出かけたりしてストレスを解消しつつ、総合的な満足度を上げていきたいところ。
海外生活のストレス、原因と対処法。辛さや孤独と上手に向き合うために。海外就職=仕事のための渡航、駐在というイメージだけれど
生活の半分以上は結局仕事以外の時間。
そこを充実させることも、海外生活をうまくやっていくためには必要だと考えています。
遠くに暮らす家族や友達と連絡したり、休みの日は思いっきり自分の好きなことをして過ごすことも意識しています。
メリハリをつけて、自分を大切にする工夫も学んだ1年。
だからこそ逃げずに頑張れた部分もあると思っています。
まとめ:1年は、同じ場所で頑張りたいからこそ
何を言っているのか理解し、自分の来た意味と役割を認識するのに3ヶ月。
そこから、たくさん失敗して課題が見えてくるまでに半年。
ちょっとずつ結果が出てきたかも、と思った9ヶ月目。
自分自身や環境を俯瞰的に見たり、新しい場所でも応用できそうな視点がやっと持てるようになってきた、今1年目。
一度経験した季節がまた始まり、一年前の気持ちとの変化を比べながら2年目を迎えています。
最近、カンボジア在住の大先輩に
「田舎の暮らしを経験して知るのは大切だけど、それだけがカンボジアじゃないからね。首都の生活を知って、「大変な生活を経験した国」だけじゃなく「ずっと住みたい心地いい国」って視点を持てるのも、また素敵なことなんじゃないかな」と言われ、心が揺れています。
確かに、田舎暮らしを大切にしてきたこの一年。
もしここで戻ったら、わたしのカンボジアの印象ってこの生活だけになってしまう。
大切にしてきた結果、それだけが私のカンボジアの印象を作り上げていることに、少し焦りを感じています。
知ることは大切だけど、それしか知らないのって、また違うこと。
コロナの感染が増えてきたカンボジアですが、
様子を見ながら今後の関わり方を考えていきたいなとも思っています。
🇰🇭