こんにちは!nemu(@nemusblog)です。
ほぼ1年かかった選考が無事終わり、この度JPO試験に合格。ずっと目指していた国連職員への一歩を踏み出すことができました。
受験時の合格ノウハウは既に先輩方が出してくださっているので、個人的にはJPOを目指したこれまでの過程を振り返りたいと思い、記事にまとめることにしました✏️
Contents
なぜ、”最短”に拘ったのか
まず本題に入る前に。それぞれキャリアの段階でベストなタイミングは異なるものの、
ヒヨコだった大学生当時、個人的に「早めに目指したい」と思った理由があったので、それも一応🐥
①生き残ることが難しいキャリアだから
と、周りの人から聞いていました。
中に入ってみないと、勝手や求められるスキルはわかりづらいし、
年齢を重ねるほど守るものや考えることも増えてくるのかな?そうすると、キャリアを優先できる早い段階で挑戦する方がいい?と、なんとなく想像していました。
のであれば、失敗や挑戦を(まだ)しやすい段階で体当たりで挑戦してみて、「生き残ることが難しい」キャリアに慣れる時間に費やせるよう、なるべく早くがいいと考えていました。
また、”残ること”だけではなく、その環境でどうベストな関わり方ができるのか、も試行錯誤してみないとわからないし
実際思い通りにいかないことの方が多いはず。
のであれば、倒れても起き上がる時間を先に確保しておきたい、と思いました。
言語や働き方も、環境にいることで慣れるのであれば、その時間を武器にスキルを得て、できるだけ自分が納得できるキャリアを歩みたい、と思った部分もあります。
プライベートとの両立を考えたかったから
これは、もう大学生の時に説明会で直接聞いてしまったほど(!)皆どうするんだ???と考えていたことでした。
生き残るのが難しく、初めての国で第二、第三言語で日々業務を行う環境下。派遣先、国も希望が100%通るばかりというわけではない。
そんな状態で仕事以外のことに手を回せるほど器用ではない性格なので、ふわっとしていたらプライベートとの両立がうまくできないかも、と思ってしまいました。
また、いつか振り返った時に、何かや誰かのせいで夢を諦めたという感情を持って過ごしていきたくなくて
パートナーや家族、目の前の現実(!)との兼ね合いが忙しくなってくる前に、
目標とする場所で一定期間を経て、仕事だけでなくライフスタイル全体について、自分が今後どうしていきたいのか考える余裕がほしい。具体的には、20代のうちに国際栄養の関わり方に幅広く触れ、英仏両方業務レベルになって30代で腰を据えたい!と思っての今でした。(そのため、3年弱の社会経験でNGO〜J系〜INGO〜UN系等、4カ国4組織でお世話になりました。)
いろんな選択、関わり方がある中で、あくまで私個人の意見ではありますが、
自分が(少なくとも現時点で)好きだと感じる仕事と、できるだけ長く関わっていきたいので、
総合的に自分が心地よく両立できるように早めに挑戦する、という結論に至った次第です。
振り返った今は、いろんな素敵な先輩に出会って「人の数だけ選択肢がある」とゆるく構えられるようになりました。
JPO受験までの8年間
国連職員を目指したのは19歳
田舎の公立高校から出て、英語も話せず海外にそこまで詳しくなかった当時、大学1年次にボランティアで途上国に訪れたことがきっかけでした。
ぼんやりと途上国や子ども、栄養に興味が出てきて、途上国支援の中で一番入るのが難しそうbutやりたいことと合ってそう!と思ったのが国連。
当時はまだ何も知らなかったものの、大学受験の経験から、とにかく上を目指せば納得できる結果を得ることができる、と感じていたので、一旦国連を目指すことに。
失敗と挫折が成長に繋がる。第一志望に落ちて良かったと実感した話。その頃、隣の大学であった「国連セミナー」に潜り込んで手にした、外務省の「国連職員になるには」はその後大学4年間、ずーっとリュックの中に入っていて、ぼろっぼろになるまで読んでいました。
そのセミナーでは、世銀でインターンしてました!や、高校でアメリカ留学を…という声があちこちから聞こえ、恥ずかしくて怖くて縮こまっていたのを覚えています。
YPP試験や空席公募は、優秀な人が目指す道だから自分には…と怖気付いてしまい、考えることもせずに一旦除外。
JPOの条件を分析し、一番早く受験できる職歴2年で合格するために必要なことを書き出し、何もわからない状態から、下記のように一つずつ挑戦していきました。
なので、私は最初から怖気付いて諦めてしまいましたが、本当に早く入りたい!というのであれば、おそらくYPP試験など目指すことも可能なのかなと思います。
英語よりフランス語を優先
平凡で優秀でもない私が、留学経験がある人や帰国子女、国公立出身!といった人たちの中で仕事をもらえるようになるには、英語だけでは厳しい競争の舞台にも上がれないのではと思いました。
当時英語も話せなかったのですが、国連公用語からもう一つ、且つ低栄養分野を専門にしたいのであればフランス語かな、と思ってフランス語を学ぶことに。
【新卒海外大学院留学】足りなかったはずのGPAが上がった話。英語は日本でも学べるけれど、フランス語は厳しいのでは?と思ったので、休学してのフランス留学を目指しました。もちろん自費なので、部活を辞めて週6-7でバイトをしていました。ちなみに飲み会とかコンパに行ったことは大学4年間で10回ないくらいです…
なので、イベントとかで「今に繋がった最初の大きな決断は?」と聞かれたら、部活を辞めたことだと答えています。ルートから外れたことがなかった私にとっては、簡単な決断ではなかったです。その帰り道に「きっと大きな方向転換になるよ」と励ましてくれたお母さんすごいなあと今でも思っています。
目標の世界一周に向けて、フルでバイトを入れる日々。なのに、予定通りに行かず1年遅らせたりもしました。
ただ、その間にも節約しながら44都道府県をヒッチハイク旅行したり、カウチサーフィンで海外旅行者を泊めて家で国際交流をしたり、あと長期休暇には英語を学ぶためフィリピン留学に行ったりもしていました。
予定通りにいかない人生。世界一周が、計画から一年遅れた私の過ごし方当時、途上国×栄養、の選択肢やロールモデルがなかなか見つからず、国際協力系のイベントに参加して、国際関係専攻などが多い中、「いやきっとニーズはあるはず。。。。」とぽつんと一人栄養学部生が思っていたのを覚えています。
21歳で世界一周
【21歳女子大生】世界一周に、留学、農家ステイ、バックパッカー、インターンを全部詰め込んだ話。2年ほどバイトでお金を貯めて、フランス留学….!の予定でしたが、
語学だけではなく現場経験も増やしたかったことや、健康や栄養に関わる立場として様々な食文化も経験したかったことから
フランス留学、フランスワーホリ、モロッコ留学、フランス農家体験、セネガルインターン、セネガル栄養ボランティア、アフリカ南部ヒッチハイク、アフリカサファリ観光、スペイントマティーナ、NYカウントダウン、キューバ旅行、韓国エステ旅を全部入れた、盛りだくさんの世界一周の旅に出ました。戦略的休学!!
【WWOOF】フランスの農家で暮らす。無料でファームステイしてみようここで、結果的にフランス語とアフリカ現地でのインターン体験、その他20カ国程を訪れ様々な経験をすることができました。
テーマを決めて、旅に出る!21歳女子大生が単独で世界一周した理由。23歳でイギリス大学院へ
【イギリス大学院】国内4年大学から直接海外大学院留学へ進む、出願スケジュール大学を1年遅れで卒業し、そのままストレートで大学院へ。
(旅人英語だったので、IELTS対策はめちゃくちゃ大変でした。。。泣)
自分の専門分野で、世界で最も優れていると感じた大学院へ、全額給付型奨学金で学ぶことができました。
これまでの経験から、どこで働くためとか、どんな立場が欲しいとか、そんな思いは全部消えてただただ国際栄養が大好きになってきた頃。
好きな学問を深めることのできた1年間は本当に幸せな毎日でした。
24歳、もう一度世界一周へ
【ピースボート乗船者のその後】世界一周クルーズに乗って変わった世界と将来。お金をもらうための仕事、ではなく、好きだからこの仕事に向き合いたいと思っていた社会人デビュー直前。
好きでやる仕事に対して、実際始めてから「忙しい」「休みたい」と思いたくなかったので
じゃあ働く前に、仕事以外にやりたいことは全部やってしまおう!と思い(究極)、留学やワーホリ、ヒッチハイクやインターンの他にやり残したことはないか…?と考え
2回目の世界一周へ出ることに。クルーズ船の日仏通訳として、3ヶ月間で23カ国を訪れました。
決め手は、当時栄養課題で関心の強かったベネズエラが寄港地で入っていたこと。南米は世界一周当時、一人で行くのが不安で足を踏み入れていない場所でした。
短期間でまたぐるっと世界を訪れたことで、自分の目標や仕事への意欲が120%定まりました。
そのおかげで社会人になってから浪費することもなく、私立大学だったことで生じた奨学金も2年半で完済することができました。
仕事を始めると休みや時間の関係で、同じ経験でも出費が全然違う!と衝撃で、
仕事以外のことを全部全部やり切ってから社会人始める計画、今の所とても良い選択だったと思っています💮
【新卒 海外就職】海外思考な新社会人の投資と貯金。25歳で、初社会人に
と諸々書いてきましたが、応募書類で聞かれる内容は上記のような学生時代の話では一切なく(当たり前w)、社会人になってからの業務経験。
JPO合格者の平均年齢は31−33歳である一方、受験可能の最低職歴年数は2年とのことで不可能ではないと考え
今の段階で既に達成できていること、今後伸ばす必要のあるスキル、その機会を得れるポスト…等々分析して
たくさんの素敵な機会、ご縁に恵まれつつ、職歴を重ねていきました。🌸
27歳でのJPO受験
そして、ぴったり2年0ヶ月でのJPO受験。
実は全然自信があったわけではなく、恥ずかしい気持ちもあり、応募書類を見てもらう勇気さえも出ず。。誰にも言わずこそっと応募しました。
なので、書類添削してもらう機会がない….という方、大丈夫です!私も(本当は見てもらいたかったけれど)お願いする勇気が出ず、破天荒な自己流だったけれど無事通過することができました。
その後、自信のなさをそのまま勉強時間に変え、大学受験生か?というほど勉強したJPO受験中。
毎朝Working with ○○ という希望機関のリクルートビデオを見て、部屋中にこれまで世界一周で出会った子どもたちの写真を貼って、やっぱり無理だと思ったら出会った子どものことを思い出して机に向かってました。
自分にとっては大きすぎる目標でも、そんな人たちとの出会いがあった上で、この目標を諦めることはできず、これまでの経験全てが、当時の自分を支えてくれた気がします。
ちなみにそのリクルートビデオ、見すぎてセリフ全部覚えました。笑
書類通過後は、同じく書類通過の先輩から連絡いただいたことを機に、いろんな方にアドバイスをいただきました。受験対策のこと以上に、合格後はこの先輩のような仕事をしたい!プライベートと両立したい!という「憧れの姿」に出会うことができ、それが長い受験期間のモチベーションを支えてくれました。
心が書類通過を受け入れるのに1ヶ月、面接通過を受け入れるのに3ヶ月かかりました。最終合格はまだ信じられない気持ちです。。
さいごに。
最後に、誰得!って感じですが私が仕事を始めてから支えられ続けている大好きな二つの動画を。
①いけるとは思ってなくても、次の挑戦ハードルを下げるチャンスにはなる
私の大好きな韓国ドラマ、Start upのep15のこの台詞。何度も、何度も(ここだけ)見返してます。
大きな挑戦をすることになった2人👩👨に対する、メンター🧑🏫の厳しい言葉とその返事の小さな一コマ。
👩You know that this isn’t something we can tackle. And it’s highly unlikely that we’ll get it.
無理だよ。競争のレベルが高すぎるし、勝算もないから。
👨I know. I don’t expect us to get it.
わかってるよ、いけるとは思ってない。それでも一応。。
🧑🏫Then why bother? It’s a lot of work for something you don’t expect to success at.
やろうって?準備にどれだけ時間と労力がかかるかわかってます?
👨That’s why we should do it. That way, it’ll be easier next time.
だからやってみるんです。一度挑戦すれば、次は少しハードルが下がるから。
このメンタリティ!!!このシーンに出会って以降、このマインドで背伸びポストに体当たりしています。
実はこれまで「勝算がある」と思って挑戦してきたポストは一つもありません…..ただ、今回ダメでも、次回やりやすくなくきっかけになる。と思って飛び込んでいます。
無駄になることなんて一つもないし、むしろ次回は既に資料も経験もあって何倍もチャンスが増えるはず。と言い聞かせ、望み薄ポストに挑戦してみています。
②若い、という言い訳を乗り越える
J’étais trop jeune pour devenir pro.
Trop jeune pour l’Europe. Trop jeune pour Paris.
Et maintenant, je suis trop jeune pour cette compétition.
英訳は動画を参照で。サッカーに詳しいわけでもない、ただの仏語好きな私の一押し動画です。
今回ではなく、前回ワールドカップ時のNike広告。当時の彼の活躍は、こんなにわかファンの私でもしっかり覚えています。
これまで、面接などで何度も「若いから」「他の候補者に比べて圧倒的に年数が足りない」と言われる場面がありました。
もちろん、年齢なんてただの数字で、自分の実力が全然足りなかっただけ。
「年数」という、自分がコントロールできないことを言い訳にするのではなく、自分を信じて、努力でそれを超えなきゃとこの動画を見る度に気付かされました。
努力することを辞めなければきっと活躍できる機会に繋がるはず、と背中を押されていました。Mbappeに。笑
これからのこと。
JPO受験に関しては既に情報がたくさん出ているので、ここでは引き続きライフスタイルや好きなことをSNSで綴っていけたらと思っています。
ただ、私自身キャリア構築には悩んでばかりだったので、
(特に私も同じ状況だった)地方在住で海外との接点が少ない方や、国際関係専攻などではなく周囲に同じ道を目指す人が少ない方に向けて
フェアに情報を発信したい、という意味でSNSを通じてキャリアの話なども可能な範囲で伝えていきたいと思っています。
【ブログ100記事】私がSNSで情報を発信する理由私も日々施工錯誤しながら進めています。ご意見等ありましたら、お問合せやDMなどからご連絡いただければ大変嬉しいです。
周りの環境が変わりつつも、第一優先は「好きな場所で好きな仕事ができる」自分になること。
そのためにも、心に無理をしすぎず、昔は雲の上だった仕事に挑戦できているだけでも良い!大丈夫!と時には言い聞かせながら
居心地良くいられるライフスタイルをこれからも探し続けていきたいなと思っています🌼
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