こんにちは!nemu(@nemusblog)です。
カンボジアもコロナの感染が(ついに)拡大し、生活にも規制がかかり始めました。
周りを見渡すと、「留学に行きたかった」「海外で研究をしたかった…」といった声をたくさん聞きます。
実は、私もこのコロナ禍ではないものの、予定していた出来事が一年遅れた時がありました。
あの一年があったからこそ、その後の毎日はぐんと新しくなり、今の生活があるのにもかかわらず
今ではすっかり忘れかけていることに気づきました。
今日は、そんな出来事と当時工夫したことについてまとめてみます💐
Contents
本当は、大学2年生を終えたら世界一周に行きたかった
大学1年生の秋に世界一周について発信する、とある団体に出会いました。
いろんな国を訪れて、自由に生きている先輩方に出会ったターニングポイント。
そんな先輩に囲まれ、いつしか世界一周を夢見るように。
【21歳女子大生】世界一周に、留学、農家ステイ、バックパッカー、インターンを全部詰め込んだ話。自分の人生だから自分で挑戦して掴んでいきたい、とまずは英語の勉強や貯金に注力すべく、大好きだった部活を辞めました。
そこから、週6-7、学校が終わってから深夜まで。アルバイトをしてお金を貯める毎日。
大学3年生になったら専門科目も増えるし、3年の秋にはインターンとか始めなきゃいけないんだっけ…?と
休学するなら絶対に2年生が終わった後だ、と思いながらがむしゃらに働く日々でした。
自分の中で100%頑張ったのに、お金が全然足りなかった
実は私、大学の友達と遊んだり、飲み会に行ったりしたことが全くありませんでした。
特に部活を辞めた後は、英語の勉強をして、バイトをして…。貯金が趣味みたいな人になっていました。
それなのに、大学2年生の1月ごろ、ふと自分の心も貯金も全く準備できていないことに気づいたんです。
世界一周に出発することはなんとかできる。できるけど…!
ただ、「生き延びる」ための最低額でしかなく、自分が世界一周を楽しんで目標を達成するには遠く及びませんでした。
軽い気持ちで、半期だけ延ばそうと教授に相談すると、カリキュラム上不可能とのこと。
泣く泣く、1年間遅らせることになりました。
通帳を見ることだけが生きがいだった1年間
酷い見出しですが、予定になかった延期の1年間はそんな日々。
もちろん、人といる時はそんな雰囲気を出さなかったし、楽しい出来事もたくさんありました。
ただ、一緒にいる友達とはだんだん話が合わなくなってくるし(私はまだ就活しないし、ゼミ選びもまだだし、、)
どうせ日本を離れることをわかっているから、恋愛も本気でやりたくない。新しい人間関係も築きづらい。
周りの人や社会から、ぽつんと取り残されているような気さえして、部屋に帰っては辛くて泣くことが多かったです。
今は修正不可能なほど外れたので開き直っていますが、やっぱり当時は怖かった。
働きすぎて体調を崩したし、適当に作った人間関係でたくさん傷つきました。
貯金が増えることだけが毎月の楽しみで、夢があるというと聞こえはいいけれど、実際は感情なんて忘れていたような繰り返しの毎日でした。
予定が変わった1年を、将来の糧になる1年に。
それでも、今振り返ると「あの1年があったから有意義な世界一周ができて、人生が楽しくなった」と自信を持って伝えることができます。
辛い毎日だったけれど、なんとかお金以上の価値を作らなきゃとがむしゃらに進んでいた1年間。
結果、ただの世界一周がその後のキャリアに大きく繋がるものになりました。
①日本で準備できる語学の基礎を固めてしまった
大学にもう一年いることになったので、フランス語を初級から上級まで全部取りました。
本当は、世界一周中に勉強しよう、くらいの勢いだったけれど、
結果その1年間で文法の基礎固めを終え、11月には仏検3級に合格することができました。
英語に関しても、毎朝起きる時間にSkype英会話を予約し、朝30分は話す時間を作りました。
特に資格取得等目的ではなかったので、先生とおしゃべりを楽しんでいました。
そのおかげで、フランス留学時には1週間でA1、3週間でA2を終え、3ヶ月でB1レベルに到達することができました。
②Couchsurfingで外国人を泊めて評価を上げた
自分が旅するときに、無料で泊まりたいので。笑
Couchsurfingのアカウントを作り、1年間で多くの外国人旅行者を私の家に泊めました。
ホストとして評価を上げに上げた結果、世界一周時にはヨーロッパの多くの国で無料で泊まることができました。
本当にありがたかった….!
③日本にいる間にできることを、全部終わらせてしまう
プラス一年バイト三昧になったので、経済的にはかなり余裕が出ることがわかっていました。
ならばいっそ、日本にいる間にしかできないことを全部やってしまおう。と全部やりました。
数週間ごとに歯を抜いたり脱毛に行ったり忙しかった….。
ちなみに、あとやりたいことはレーシックだけです。。他はもう満足。
④ヒッチハイクで、日本を一周した
「日本も知らないくせに海外に行くなんて今の若者は〜」と言われることが嫌だったので、
日本一周しました。ヒッチハイクで44都道府県を訪れました。
方言の違いに驚き、美味しい食べ物に感動し、多くの歴史を学びました。
同時に、自分の中にたくさんの固定概念があることも知りました。
ヒッチハイクって、基本運転手は選べないし、乗車中は必然的に話すことになるので、
いろんな人の価値観を知るのにとても良い機会でした。
ただ、危険も伴うので注意することもたくさんあります…。また記事にまとめますね!
⑤家族の時間を大切にする
世界一周は、自分にとって大きなターニングポイントになるだろうとなんとなく予測はしていました。
その後は、もっともっと海外に出ていくんじゃないか、という予感的なもの。
だからこそ、日本にいる間に家族と過ごす時間を大切にしたいと思いました。
いつまでも挑戦を続けたいし、それを応援してくれる家族は大切にしたいからこそ、1年の延長は家族との時間を増やす貴重な機会でした。
⑥部屋の中を、自分の夢でいっぱいにした
ビジョンボードって聞いたことありますか?
ビジョンボードとは、自分の理想の未来や叶えたい夢、欲しいものや行きたい場所などを表す写真やイラストを一枚の大きなボード(紙)にコラージュしたもの。
欲しいものやいきたい場所を一枚のボードに可視化して、夢を叶えるための一つの手段。
これの大きい版を作るべく、私は部屋の机のまわりを(と言っても、机買うお金なかったので押し入れの上段なんですけどwドラえもんの寝るところw)壁一面、行きたい国の写真で埋めました。
めちゃくちゃ可愛い部屋になっていたんですが写真が残っていない…
1年間、毎日その壁を見ながら、世界一周中の自分の姿をイメージしていました。
なんとかメンタルを保って乗り越えられたのも、ビジョンボードのおかげかも。
まとめ:振り返ったらきっとかけがえのない日々になる
当時の感情は、暗くなることが多かったけれど
こうやって振り返ってみると、あの一年があったからこそ、充実した世界一周旅行ができたんだと感じます。
テーマを決めて、旅に出る!21歳女子大生が単独で世界一周した理由。今、わたしもコロナによって予定がうまく進まず、毎日のようにTwitterで弱音を吐いてしまっていますが
あれもこれもきっと、私たちを強くしてくれるはず。
そう信じながら、ゆっくりと歩んでいきたいです🌻